井伊直弼は、仏法の教えを忠実に守り牛の屠殺を藩内で禁止する。直弼以前は、将軍家や御三家などに毎年贈られたがピタッと止む。開国問題や将軍後継をめぐって対立する水戸藩主徳川斉昭は、彦根牛の味噌漬が大好きだった。斉昭は今かと待つが届かない。やがて死者を出し「彦根肉の味噌漬を何とぞ贈らせ給へ」と頼むのである。
「牛を殺すことを禁じ、贈りようがない」と彦根藩。「禁じられたのはやむを得ないにしても…格別調べられ
たく頼むなり」と強談判だが「何分国禁ゆえ」と彦根藩も引かない。
「老公たびたびお頼みしたが承諾せず、さすがに不快に思い召される」。これが後年「桜田門外の変」を
引き起こす水戸藩と直弼との不和の遠因だったとする説は、説得力をもって伝えられた。